福井競輪場(福井県)
1950(昭25)年〜

昭和20年の福井空襲、昭和23年の気象庁が震度7を設定するきっかけとなった福井地震
九頭竜川の堤防決壊
短期間3度にわたり市のほぼ全域が壊滅的被害を受けた県庁所在地である福井市


競輪の収益に当たる車券売上の75%が配当金に充てられ
残り25%のうち財団法人JKA(競輪とオートレースの振興法人)への納付金が約3.3%
公営企業金融公庫への納付金が約1.1%となっており
そこから選手賞金などの開催運営費を差し引いた残りが自治体の収益となる

各地で競輪場が開設された頃
福井市でも
復興資金の確保の為、競輪場が開設された
1950(昭25)年:福井市明里町に建設された400mバンクで
市営による福井競輪が開始される

日本競輪学校の400mバンクをモデルにして造られているため
選手の間ではクセの少ない走りやすいバンクと言われている
ただし、直線が比較的短いため、先行タイプの選手がやや有利とされている



<昭和44年度・
福井市主催・枠番連複勝車投票券>


2004(平16)年:内装を全面リニューアルし総合アミューズメント施設と変貌する


一般的に福井県は中部地方に属するが競輪の世界においては近畿に属し
このため、
福井競輪場をホームバンクにする選手は近畿ラインを組む

今でも近畿ライン中心に多くの選手がファンを楽しませている



福井県福井市明里町